Family name is
「結局、私の名字って何になるんだろう?」 ぽろっと零れたようにきらが呟いた言葉に、向かいに座っていた優は怪訝な顔をした。 学校帰りにちょっと寄り道したカフェでさっきまでは全然別の話をしていたはずだ。 「なんだ、いきなり。」 「ふとね。柏木ってホームの名前だから。」 きらはまだ赤ん坊の頃に柏木ホームに引き取られているので、自分の名字も名前もホームでもらったものだ。 もちろん、子どもの頃から「柏木きら」として生きてきているので、そのあたりに違和感はない。 出自がわかるような事さえなければ、特に構わずそのまま過ごしていただろう。 けれど先日、きらは偶然か必然か自分の出自を知った。 ただ知った直後は色々ショックだったのと、様々な事件が起きたせいで名字など気にかける暇もなかったのだが。 そのあたりに思い至ったのだろう。 優も納得したように頷いた。 「そうだったな。幼い頃にホームに入るとみんな柏木になるのか?」 「そうだね、自分の名前を覚えてるとか出自がはっきりしてる場合はそうじゃないけど私や好春なんかは名前もわからない頃からホームにいたから。」 好春、という名にきらの胸がつきんと痛む。 弟のように育っていたはずの好春は先の事件の時に決別してしまった。 好春自身の一族の事や色々な原因があったと思うけれど、たぶん一番大きな理由はきらが好春ではない人を選んでしまったせいだと思っている。 好春ではなく、目の前にいる設楽優をきらは選んだ。 少しだけ切なくなって向かいに座る優をそっと見た途端、目があった。 切れ長の瞳と視線が絡んで慌ててそっぽを向く。 恋人と呼べる関係になって日が浅い上にそもそもが照れ屋な二人だ。 どうもくすぐったい感じを振り払おうとことさら元気よくきらは言った。 「だから両親が付けてくれた名前ってどういうのだったのかなって興味はあったんだ。今の名前ももちろん気に入ってるけど。」 「あ、ああ。いいと思う、お前の名前。」 「え?」 後半の言葉を聞き逃して問い返したきらに、優はさっと頬を赤く染めて「なんでもない!」と言うなり自分のコーヒーを一口飲んだ。 「?まあ、いいけど・・・・。あ、で、名前。私のお母さんは伊万里なんだよね?」 「秀一達はそう言っていたな。」 「そうすると伊万里なのかな。でもお父さんの名字は違うんだっけ。」 「ああ。ただ別に夫婦だったというわけではなかったらしいし。」 最終的に駆け落ちという体裁を取っていたという事なので、どっちとも判断が付かず優ときらは首を捻る。 「結局確証があるわけじゃないし・・・・」 少し残念な気がして自分のカップを口に運びながらため息をついたきらを優がちらっと横目で見た。 そして、ぽつりと言った。 「・・・・別にいいんじゃないか。」 「え?」 「名前が気に入っているなら良いだろ。僕も・・・・その、お前に似合ってると思う。」 「あ、ありがと。」 あまり耳慣れない優の褒め言葉にきらは頬に血が上るのを感じた。 ただでさえ好きな人に褒められるのは嬉しいけれど照れるというのに、優がやたら照れくさそうに言うからきらまで伝染する。 (似合う、だって。) 優の言葉を反芻してきらが口もとを緩めた途端に非難がましい視線が飛んできた。 「何がおかしい?」 「え?あ、別になんでもないって。ただ優が珍しいこと言うから。」 「珍しいって、いいだろ。そう思ったんだから。それに、名字なんてどうせ・・・・・っ」 売り言葉に買い言葉要領で言い返そうとして、いきなり優は言葉に詰まった。 「?何?」 「なっ、なんでもない!」 「なんでもない感じじゃないんだけど。どうせ?」 「っう・・・・」 ずいっときらが覗き込むように見つめると、優は軽くのけぞるようにその視線から逃れようとする。 でも狭い喫茶店の二人席でそんな事をしてもほとんど意味はないわけで。 「優?」 片眉を上げてだめ押しに名前を呼べば、優はそっぽを向いてぼそっと言った。 「どうせ・・・・設楽になるんだからいいだろ。」 「!!」 きらは目をまん丸く見開いて固まってしまった。 (名字・・・・設楽って・・・) 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 「お、おい!?」 頭を抱えて突っ伏してしまったきらの耳に、驚いたような優の声が届く。 でもきらは生憎顔をあげるどころじゃなかった。 鏡がなくてもわかるくらい顔が真っ赤だという自覚がある。 「な、なんなんだ、その反応は!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・天然」 「?」 ぽそっと呟いたきらの言葉は優には聞こえなかったらしい。 そっと見上げると戸惑ったような優の顔があって、きらは苦笑した。 照れ屋なくせに、意地っ張りなくせに、不器用なくせに ―― 優は時々ひどく直球だ。 そう言う時にやられたと思うぐらい心臓を打ち抜かれるのはきらの方で。 「あ〜・・・・えっと、うん、そうだね。名字は変わったりもするしね。」 悔しいから、さっきの答えは言わないまま。 「え、あ・・・・」 「あ!時間!涼さんの所へ行くんでしょ?」 「あ、ああ。」 強引に話を誤魔化してきらは立ち上がった。 そして突然の展開にきょとんとしている優に「先に出てる」と宣言してさっさと自分の荷物を背負ってカフェの外へ出る。 「おい、ちょっ!きら!」 驚いたように叫んだ優が出てくるのを待ちながら、きらは小さく小さく呟いた。 「・・・・設楽きら、か・・・・」 誰にも聞こえなかったきらの囁きは、舌の上で甘く溶けた。 〜 終 〜 |